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人文社会系シンポジウム「自殺を考える。」を開催

土井先生

2月29日、公開シンポジウム「自殺を考える。」(主催:人文社会系社会連携推進室)がオンラインで開催されました。

表題に対し、本学の異なる専門分野の教員7名による講義?対談形式で実施。現代日本の自殺の構造を社会学から、自殺をめぐる当事者の問題を精神医学から、また自死と生の問題を宗教学と哲学から、などさまざまな角度から考察が行われました。

当日は学内外から約260名が参加しともに思索を深めました。参加者から寄せられた声、主催者からのコメントは末尾に掲載しています。

アーカイブ配信は、下記のURLからご覧いただけます。

365体育投注人文社会系シンポジウム「自殺を考える。」全録画?365体育投注人文社会系「人社チャンネル!」特別編?https://youtu.be/5V-fwwq1T1E

シンポジウム

第一部 社会学?医学から自殺を考える

青少年の自殺を考える ─ なぜ高止まりを続けるのか

〇講演者プロフィール

土井 隆義(人文社会系/教授)

研究キーワード:社会病理学、犯罪社会学、逸脱行動論

著書:「友達地獄」(ちくま新書)、「親ガチャという病」(宝島社)など

閉じた人間関係が生む社会的孤立 自己像硬直化の危険性

成長が停滞したこの平坦な時代では、明確なゴールがなくなり、組織や制度からも自由になった代わりに、人間関係のリスク増大による不安感が増えてきている。若年層は、同質性が高く浅い人間関係にとどまるようになり、人とつながっているのに悩みが尽きない「つながり孤独」に陥っている。「関係の内閉化」によって自己像が硬直化し、自分の新たな側面に出会うことができず、生きていればいいことがある、と思えない若者が増えている可能性がある。

病気としての自殺 ─ 医の倫理/死の人称

〇講演者プロフィール

太刀川 弘和(医学医療系/教授)

研究キーワード:地域精神医学、災害精神医学、自殺予防、精神保健など

著書:「つながりからみた自殺予防」(人文書院)など

「あなたに死んでほしくない」 二人称の視点が重要

紀元前5世紀のヒポクラテスの時代において、自殺は患者への医学的な説明と説得によって予防できるとされた。その後、精神医学、心理学的?生物学的な側面から自殺因子の研究が行われ、現在は患者の自己決定権を重んじる考え方が主流である。他方、つながりの障害などの社会的側面も見落としてはならない。死に関する議論の整理が不十分なために、臨床場面では「なぜ死んではいけないか」という問いへの端的な答えを用意できていない現状があるが、重要なのは、「人間は生きるべき」という三人称の視点ではなく、「私(医療者)があなた(患者)に死んでほしくない」という二人称の視点ではないか。

第二部 哲学?宗教学から自殺を考える

古典インドにおける殺生と不殺生の諸相

〇講演者プロフィール

志田 泰盛(人文社会系/准教授)

研究キーワード:中国哲学?インド哲学?仏教学

著書:「世界哲学史 別巻--未来をひらく」(ちくま新書)より〈インドの論理学〉など

自殺念慮さえも大罪 現世を全うして輪廻転生すべし

古代?中世インドでは、苦悩に満ちた人生であっても、固定的役割に基づき自らの務め?使命を完遂することが求められ、ほとんどの自殺は自殺念慮を含め大罪とされていた。一部の例外として寡婦の殉死や聖地巡礼などもあったとされるが、外国人による資料記述の誤りや誇張表現なども多数見られる。なお、一般的な自殺とは性質を異にするが、バラモン教の遁世やジャイナ教の断食飢餓などの最期を迎えるための儀式行為については、諸々の文献により確認することができる。

キリスト教における自殺の問題

〇講演者プロフィール

保呂 篤彦(人文社会系/教授)

研究キーワード:宗教学、思想史、哲学?倫理学

著書:「宗教の意味と終極」(国書刊行会)など

自殺は神への不信と福音への拒絶 生死は神が司る

聖書では自殺を明確に否定していないものの、教会はラクタンティウスやアウグスティヌスの時代以来自殺を禁じ犯罪として非難してきた。自殺は生と死に対する神の絶対主権の侵害、ゆえに不信の帰結とされてきた。現代の教会も基本的にアウグスティヌスの自殺理解を踏襲しており、個人主義的な自由理解?人間理解とは対極にある。生きることを許されている、という神の恩恵(福音)への拒絶こそが自殺への道であるとされている。

武士道における自死 ─『葉隠』を手がかりに

〇講演者プロフィール

板東 洋介(人文社会系/准教授)

研究キーワード:日本儒教、日本思想史、倫理学、儒教、国学など

著書:「徂徠学派から国学へ: 表現する人間」(ぺりかん社)など

名と利のための武士の自殺 特殊な時代が生んだ死への能動性

「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」の有名な一節にある武士の死への覚悟は、いつ死ぬかわからないという漠然とした恐怖に満ちた人生に対し、自身が主導権を掌握するための能動的な態度の表れである。他方、「名」(名声、名誉)と「利」(土地、所有権)、すなわち帰属集団への服従と後世への継承を目的とする点で、武士の死に急ぎは社会構造に起因する価値観と言える。これは当時の特殊性によるもので、現代の日本人全般の精神性にも適用できるとは言い難いが、「武士道」は確かに、道徳的な善悪はともかくとして、極限的な生と死の思想を形成?提起している。

モンテーニュとともに考える自殺 ─『随想録(エセー)』第2巻第3章「ケオス島の習慣について」を中心に

〇講演者プロフィール

津崎 良典(人文社会系/准教授)

研究キーワード:フランス哲学、唯物論など

著書: 「デカルトはそんなこと言ってない」(翻訳)(晶文社)など

自死にも目的があるはず 生と死の比較考量による決断か

「自殺」に相当する言葉がない時代に、自殺に否定的なカトリック教に対し、教徒のモンテーニュが賛否両論を展開するのが本書の試み(エセ―)。心中や神命、精神疾患などでない自由意思による自死について、すべての行為には何らかの目的があるとする目的論的視点からの考察に触れている。外的要因によって、生と死の比較考量の末に自死を選択する可能性があるとの指摘からは、自殺以外の有用な手段を提示することの重要性が示唆される。

私の毎日の小さな自殺について ─ ハイデガー『存在と時間』より

〇講演者プロフィール

五十嵐 沙千子(人文社会系/准教授)

研究キーワード:哲学対話、合意論、正義論、哲学カフェなど

著書: 「この明るい場所-ポストモダンにおける公共性の問題」(ひつじ書房)など

頑張ることを自ら課す私たち 解放への道は支配からの離脱

「現存在」(=その都度の場の存在)としての私たちは、役割への同一化と適切な振る舞い、努力と成功を常に求められる世界を生きている。「ちゃんとすること」、「頑張り続けること」を強いるこの苦しい社会を生んだのは、他者へ期待を抱く悪気のない私たち自身である。自らの可能性を規定し見張り続けるこの小さな「自殺」の日々を打破するには、役割を超えた他者理解と「現存在をともに生きる存在」としての連帯、他律を内面化した自己決定的な生き方から何事にも支配されない生き方への転換が重要だ。

(講演概要文責: 広報局)

【参加者からの声(抜粋)】

「自殺は人間の、人類の永遠のテーマだと改めて思いました。多様な分野の観点からの自殺の分析は、その多様性と複雑性、正解はないこと、個別対応の重要性が浮き彫りになったと確信します。逆に「生きるとは何か」ということの中身を自らがどのように色付けづけていくのかという点に自殺予防のヒントらしきものがあるように感じました。」
「自分が感情的に、反射的に感じる「死にたい」をさまざまな角度から俯瞰して眺めることができ、助けになる視点を得ました。」
「相談員の仕事をしていたとき自殺念慮のある方々と話す機会が何度かありました。その時からずっと自殺を考える背景(中略)、他人である自分に止める権利はあるのか、相手をどう理解したらいいのかなど、ふとしたときに頭の中で考えていました。(中略)(それを)解決するヒントになるのではないかと思い参加しました。」
「自殺や精神疾患、引きこもり、自傷行為などまだまだタブー視されていることは多い現代を変えていきたいと思いました。」

【主催者のコメント】

人文社会系社会連携推進室 室長 五十嵐 沙千子 准教授(人文社会系)

「今の日本が、先進国の中で傑出して不幸感の高い社会であること、青少年をはじめとする自殺が多いことは周知の事実です。その理由は何か、どうすればその状況を変えられるのか、このことについて大学の知が貢献するべきだと考え企画しました。「死」の問題については、人文学、特に宗教学や哲学が長い研究の歴史を持っています。加えて、現代日本の社会様相を研究する社会学、また自殺の問題に現場で取り組んでいる医学の視点も加え、「日本の不幸」を代表する自殺の問題を学際的に明らかにすることが、大学の責務だと考えています。」